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真藤順丈が「宝島」で戦後沖縄を描いた理由は?登場人物のイメージや執筆後の思いなどをご紹介。

第160回直木賞を受賞した真藤順丈さんの「宝島」ですが、戦後の沖縄の「戦果アギヤー」の存在が描かれていますね。「宝島」で沖縄の「戦果アギヤー」を描いた理由とは何なのでしょう?登場人物のイメージや「宝島」を執筆しての真藤順丈さん自身の思いなどをご紹介していきたいと思います。

沖縄の「戦果アギヤー」を書いた理由とは?

戦後の沖縄を舞台にした「宝島」の構想は7年前に生まれ、執筆には3年かけたとか。

7年前に「琉球警察」の話を書こうと調べていた際に「戦果アギヤー」(米軍施設から物品を強奪して市井の人々に配っていたグループ)の存在を知ってそちらを書きたいと思ったそうです。

戦果アギヤーたちに惹かれた理由としては、自分の置かれた状況や閉塞した時代感を突き破ってくれる底抜けのたくましさや強さを感じたから

真藤さんがこれまでに小説で表現したいと思ってきた「青春の疾走感や熱気」、「抑圧への抵抗」、「生きて還ってこそというスタンス」、「戦果をみんなに配ってどんちゃん騒ぎしようぜ」といったもの戦果アギヤーたちが体現していると考えたからだそうです。

「教科書から漏れてしまうものを物語として描きたかった」

戦果アギヤーのような方達は正史や教科書には載せられていない人々であるけど、「時にはそういう存在こそが世の真実を呼びさましてくれる」という思いも持っていたそうです。そういう人たちの日々の営みや喜び、挫折の「声」を小説することが、自分の仕事だと感じたそう。

→詳しいあらすじはこちらの記事で書いていますのでご覧ください。

真藤順丈さんの物語の舞台の選び方って?

真藤順丈さんはどのように物語の舞台を選んでいるでしょうか?

今回の沖縄もそうですが、過去作品の2010年「バイブルDX」ではロシアやイスラエルを書いていたり、2011年の「畦と銃」では第一次産業の村での抵抗が描かれていますね。

2012年の「墓頭」では沢東やポル・ポトが出てくる中国やカンボジア、フィリピンなどのアジア諸国を書いておりますが、とあるインタビュー内で「東京出身だからか、故郷といえる原風景がないからか「ここではないどこか」を物語の舞台にすることが多い」と答えてらっしゃいました。

しかし、伝奇小説や大河小説のアプローチで、ある種のカオティックな時代のうねりに呑みこまれる人々の躍動を書きたいと話す真藤さんは、この巨編志向のおかげで編集者には時折疎まれることもあるとか。

登場人物はどうイメージして構成していった?

今回、「宝島」を執筆にするにあたり、登場人物はどうやってイメージしたのでしょうか?

「宝島」には主要登場人物として「ヤマコ」「グスク」「レイ」の三人の男女が登場しますが、それぞれのキャラついてとあるインタビューでこのように答えていました。

〈ヤマコについて〉

ヤマコは能動的で魅力的な女性像、男女3人の中でもヤマコが一番前に出てくるくらいの構成を考えていました。男2人や男3人の関係性はこれまでもたくさん書いてきたけど女性読者にも共感してもらえるような、朝ドラのヒロインのような女性になるように試行錯誤しました。

ヤマコは働き者で一途。でも狙った男はこっちから落とすというたくましさやしたたかさもあって。生活がどうにかなってしまうぐらい何かを思いつめる、物事を突きつめるというところは自分のなかにもあると思います。僕はあんなに働き者ではないですけど。

 

〈グスクについて〉

グスクはわりと変わらないやつ。劇的に周りの環境や仕事は変わっていっても、軸がぶれない男で。ものぐさだけど、やる時はやる。ものぐさなところは僕も同じ。

 

〈レイについて〉

レイは一番やんちゃな末っ子タイプだが、成功するにつれて思想を尖鋭化させていくという。はじめは「お前の取り柄は、運がいいだけだ」と言われているんだけど、社会に向けてワーッと野良犬みたいに歯をむいていると、どんどん本物の脅威になっていくというのは、自分が書くキャラクターの中のひとつの典型としてあるんですよね。そんな人物が、取り返しのつかない過ちを犯しつつ、ある面ではもっとも強靭な魂を獲得するというところもあるようなキャラクター。

 

真藤順丈さんの「宝島」の執筆を通して何を思ったのか?

その時代、その場所にいなかった人が、それでもその次代やその場所について書くこと。

それはつまり当事者性や文化的搾取といった事柄にどう向き合うのかということが問われ、批判が出ることも覚悟しなければなりません。自分がそこにいなかった期間を補うために勉強することはもちろん、実際に土地の赴き調べていくこと、その知識と想像力との両方が必要となってきます。

「宝島」を書くのに、今までの小説でいったら3~4冊を書くくらいの熱量が必要だったそう。こういう小説は、毎回毎回書けるものではなく、こういうものばかりを書いていると私生活がめちゃくちゃになってしまうと感じたそうです。

そんな「宝島」の執筆を通して何を思ったのでしょうか。

小説の一番の武器「語り」を獲得できた

小説の一番の武器は「語り」だと話す真藤さん。

読み手としてもずっと僕は、土地から立ち上がるナラティブ、民族の叙事詩といったものにどうしようもなく惹かれてきた。どういう文体で書くかは悩みましたが、この合いの手を入れたり別の面からフォローしたりする「語り」を見つけたことで、物語の風通しがすごくよくなったし、書いている自分も救われました。こうした「語り」を獲得できたのは、沖縄の物語だからこそかもしれないと思っています。

人生観が変わった

家族からみた真藤順丈さんは「今まで以上にニュース見て文句を言うようになった」そうです。

これまでは自分の好きな映画や小説に耽溺していたいという気持ちが強かったようですが、社会の中にいる一人の人間という意識が強まったとか。

小説の中にもある種の「運動」を息づかせていきたいんだな俺は、と自覚するようになりました。たとえば政治運動のことだけを言いたいわけではなく、ちょっとした問題提起でもいいし、今までとは違う角度で社会の事象をとらえるのでもいいし。今後はなにか実社会に還元されていく要素を含んでいないと、エンタメでも厳しくなってくるんじゃないかと個人的には思っています。

とはいえ、歴史目線の説教をしたくて書いたわけではなく、人々の物語や「声」を語りたいという思いを込めて「宝島」はそういう小説を目指したそうです。

「宝島」の執筆で大変だったこととは?

「生半可な態度では臨めない」

東京出身の真藤さんが戦後の沖縄を書くのはとても勇気がいることだったそうです。最初から頭では理解していたつもりだったが、どこか芯からは理解できておらず、途中で2年間くらい執筆を中断してしまったこともあったそうです。そのころは同時にキャリア的にも非常に行き詰まっている時期で悩んでいたそう。

しかし、「宝島」を完成させなければ自分は前に進めないんだなという気持ちがあり、沖縄のこの時代の話を全身全霊で書き切れることができれば、何かどこかに届くんじゃないかという思いがあったとか。

編集者の力添えは非常に大きく、キャラクターや場面など色々と指摘されて、1年ほどかけてリライトを繰り返し、結局、第6稿まで直したそう。編集者たちと一緒に生みだしたという実感が強いと話していました。

しかし、新人賞を獲る前に投稿時代が3年くらいあったそうで、小説家になってからのほうが断然辛かったそうです。

当時はなかなかヒット作が出せず、周囲から人が去っていき苦境から抜けられず、いつ廃業してもおかしくないところまで追いこまれていたとか。

最後に

今回直木賞を受賞した「宝島」を執筆した真藤順丈さんについて調べてみましたが、先日あらすじを調べていたので登場人物の性格などがわかり、さらに読んでみたいという気持ちが増しました。近くに本屋がないので電子書籍か、愛用の楽天で注文しようかな。

ちなみに、東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」で真藤さんの連載がはじまるようですね!2月号からで、1年以上かかる連載になる予定だとか。ミステリー要素を含めたスケールのある物語とのことで期待大です。

第160回芥川賞を受賞した作品についてはこちら

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最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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